下町を歩こう 谷中(東京)

古くからの姿が残る町、東京・台東区の谷中。皆さんはどの様なイメージをお持ちでしょうか。
お寺の町、お墓の町というイメージの谷中、東側は谷中霊園や天王寺墓地,寛永寺墓地が占め、西側は多くの寺院(約八十寺院)があり、その周囲に住宅や商店があります。

谷中に寺院が建ち、町家が出来るようになったのは家康の江戸入府前後からのことで、寛永2年(1625)に寛永寺の造営が着手され、その後 明暦3年(1657)の振り袖火事により焼け出された寺が移り 門前町として発展してきました。

爽やかな秋空のもと、10月16日の午後に 2時間半の谷中を散策してきました。短い時間ですので、谷中霊園周りの限られたところになりましたが、機会を見つけ昔ながらの情緒の残る「谷中・根津・千駄木」をまた・・・
撮影年月日 : 2006年10月16日     「鎌倉」地図の表示「谷中」地図の表示


谷中霊園
明治維新の後の明治7年(1874)、天王寺と寛永寺の敷地を東京府が引き継ぎ、谷中墓地として開設したものです。その後、明治22年(1889)東京市に移管されて谷中霊園と改められました。(広さ=約10万平方メートル,東京の三大霊園の一つ)
春の中央園路にある桜並木は美しく、多くの人出があります。
園内には、
   長谷川一夫, 徳川慶喜,
   横山大観, 鳩山一郎,
   獅子文六, 渋沢栄一
など多くの著名人が眠っています。。

幸田露伴の小説「五重塔」のモデルとなった有名な谷中天王寺の五重塔跡が霊園の中央にあります。
高さ34m強あった塔は、昭和32年に放火で焼失してしまい、今ではその基礎が残るだけです。


谷中霊園

長谷川一夫 (俳優 : 林長二郎) の墓

徳川慶喜 (15代将軍) の墓
谷中霊園からJR日暮里駅北口方面を撮影。

谷中霊園よりJR日暮里駅北口方面を望む

天王寺
 (毘沙門天)
東京に現存するお寺の中でも、江戸時代よりも前の時代に創始された数少ない古刹です。江戸時代には「富くじ」が開催され、目黒の滝泉寺(目黒不動)と湯島天神と並ぶ江戸三富と呼ばれていたそうです。



上野の大仏さん (天王寺境内)

元禄3年(1690)生まれ。
天王寺の前身、感応寺の住職・日遼が鋳造したものです。

天王寺・本堂
川上音二郎の銅像の台座
"オッペケペ オッペケペ"で知られている新劇の祖と呼ばれる川上音二郎の銅像の台座と銘板が谷中霊園にありました。
銅像は戦時中の回収のために取り払われ、それ以後台座のみになっているそうです。

音二郎の墓は福岡市博多区の「承天寺」にあります。


主のいないままの川上音二郎の台座 (谷中霊園内)

立派な 本行時・山門

本行寺

本行寺は別名「月見寺」とも呼ばれています。



太田道灌が見晴らしの良いこの地に、斥候(せっこう)台を築いたと伝える道灌物見塚の跡でもあります(遺構は無し)。それを読んだ小林一茶の句 「陽炎や 道灌どのの 物見塚」 が碑になっています。

経王寺
1655年に建立された日蓮宗の寺で、1868年の上野戦争で敗れた彰義隊をかくまったために受けた新政府軍の攻撃の跡(弾痕跡)を、山門に今でも見ることができます。


朝倉彫塑舘
朝倉彫塑舘
彫刻家・朝倉文夫の住居兼アトリエだった建物が、そのまま美術館になっていて、一般に公開しています。
作品群もさることながら、いかにも趣味人らしい建築と調度に彼の味が出ているそうです。

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観音寺の練塀
観音寺の練塀
瓦を何層にも重ねた塀で江戸時代からの貴重なもの。


長安寺にある板碑
長安寺にある板碑(いたび)
死者の菩提を弔うため、あるいは生前に自らの死後に備えて供養を行うために建立した塔婆の一種。
石板塔婆,青石塔婆とも言われる。
関東地方では秩父地方産の緑泥片岩を用い、鎌倉時代から室町時代まで盛んに造られた。
瑞臨寺
瑞輪寺の開山は、慈雲院日新上人、開基は徳川家康。
日新上人は、徳川家康が幼少の頃、学問教育の師範でした。家康は、感謝の気持ちから、日新上人に天正10年(1582)、本堂創建を約束し、9年後に本堂を創建した。

瑞臨寺には、江戸に水道を引いた大久保主水の墓があります。



端臨寺・本堂

仮名垣魯文の墓
仮名垣魯文は、幕末から明治にかけて活躍した「安愚楽鍋」や「西洋道中膝栗毛」などの作がある戯作者です。

魯文の墓は、永久寺にあります。


仮名垣魯文の愛猫の供養碑

仮名垣魯文の墓
全生庵
全生庵は、山岡鉄舟が、明治維新に殉じた人びとの霊を供養するために、明治13年に建立した臨済宗の寺です。

山岡鉄舟(江戸城の無血明け渡しに力を注いだ幕末の幕臣), 三遊亭円朝(「怪談牡丹燈寵」で有名だった噺家), 弘田龍太郎(「靴が鳴る」、「叱られて」「浜千島」などの童謡や歌曲「小諸なる古城のほとり」の作曲家)の墓があります。


全生庵・本堂

山岡鉄舟 (幕末の幕臣) の墓

弘田龍太郎 (作曲家) の墓

谷中の町屋
谷中は、震災や戦災での町並みの焼失が少なく、
いまでも昔ながらの情緒の残る界隈として多くの人に愛されています。
寺院の門前を縫うようにして どこかで見たことのあるような町屋や商店があり、昔懐かしい風景です。
 

菊寿堂いせ辰 (江戸千代紙の店)
元治元年(1864)創業の江戸千代紙の老舗。
単色刷りから多色刷りまであり、江戸時代と同手法の美しい多色木版刷りもあります。
 

谷中銀座
「夕やけだんだん」と呼ばれる階段の向こうに伸びる200mほどの下町情緒溢れる懐かしい商店街。本屋にパン屋、八百屋に鮮魚店など、暮らしに密着した小さな店が肩を寄せるようにして並んでいる風景は、まさに東京を代表する下町。

福丸 (激安!谷中の10円饅頭)
1個10円の饅頭!もちろん自家製で、1日2万個以上売れてしまうという下町の人気和菓子です。黒糖薫るしっとりとした皮に、甘さを抑えた餡が美味しいこの饅頭は、夕方には売り切れとか。

谷中銀座商店の看板




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