
 |
|
新港埠頭は横浜港のほぼ中央に位置し、はしけを使用せずに陸から船へ人や物資を積み込める横浜港初の近代的な埠頭として、明治後期から大正にかけて建設されました。
赤レンガ倉庫や50トン起重機などの歴史的に貴重な構造物が現存しています。現在、MM21新港地区の再開発が行われ、海上保安庁横浜海上保安部の庁舎を兼ねた横浜海上防災基地、横浜国際船員センターなどの新たな港湾関連施設や運河パーク、新港パークの緑地が整備されています。
今日は、新港埠頭から大桟橋にかけての海岸沿いを散策してきました。 |
| 撮影年月日 = 2007年10月17日 |
| 第2次世界大戦後、多くの日本人を救った「ララ」物資 |
| 第2次世界大戦直後の混乱期、日本は衣食住全てに不自由をしていました。人々は極限状態での生活を強いられ、バラックを作って雨露をしのぎ、もはや衣服とは呼べないような布をまとい、僅かばかりの配給で空腹を紛らわせながらの毎日でした。その配給でさえも満足に行き渡らず、遅配が何日も続き、事態は深刻化する一方です。幼い子供達は育ち盛りなのにも関わらず、ほとんどが欠食児童で、栄養失調はざら、その体躯は痛々しいほどに貧弱化していましいた。学校はとうにその機能を失っていて教育どころではなかった。 |
こうした中、全米の各宗教団体を中心とする海外事業運営篤志団アメリカ競技会は、「アジア救援公認団体」を設置し、ミルク類、缶詰類、油類等の食料をはじめ、衣類、医薬品、靴、石鹸、洋裁材料などの消費物資の他、乳牛や山羊などを送り、多くの日本人を救ったのです。
この救援物資は、「アジア救援公認団体」の英語名「Licensed
Agencies for Relief in Asia」の頭文字から「ララ」物資と呼ばれました。
昭和21年11月30日に「ララ」物資を積んだ第1船が、ここ横浜新港埠頭に着岸し、以後昭和27年6月まで続けられたのです。
終戦当時、小学生だった方々は記憶にあるかと思いますが、学校給食で出された脱脂粉乳などの食料はここに陸揚げされたのです。
香淳皇后御歌は、昭和24年に昭和天皇と行幸啓にこられた時に詠まれたものです。 |
|

香淳皇后御歌 |

赤レンガパークからのMM21




海上保安庁横浜海上防災基地
海上保安庁・工作船展示館(横浜)にて
「工作船展示館」と大きく書かれた白い文字,、中に入ると錆びたオンボロ船が一隻。そうです、あの北朝鮮の工作船です。2001年12月22日に発生した、九州南西海域不審船にかかる工作船及び回収物などが展示されています。
海上保安庁巡視船「あまみ」,「きりしま」,「いなさ」を攻撃した不審工作船は、「あまみ」,「いなさ」の20mm機関砲による射撃を受け、自ら船体を爆破して海底に沈没しました。翌年9月11日不審工作船は沈没から263日目に引き上げられました。 |

回収された工作船・上部

回収された工作船・側面

回収された2連装機関銃
|
|

工作船の弾痕
|
|
|
|

工作船後部の観音開きのドア内部
(ここに上陸用小型舟艇が収納されていました) |
|

上陸用小型舟艇
|

海上保安庁巡視船・しきしま (横浜海上保安部所属)
全長=150m, 総トン数=6,500t, 世界最大級の巡視船

海上保安庁巡視船・あかいし (鹿児島海上保安部所属)
全長=95m, 総トン数=1,800t

赤レンガ倉庫

シーバス
MM21地区と山下公園・中華街を結ぶ水上バスです。

横浜大桟橋
2002年(平成14年)にリニューアルオープン。
個性的なデザインと斬新な構造の空間美を持った、日本を代表する横浜港にふさわしい客船ターミナルです。

大桟橋に停泊中の客船・ふじ丸
日本初の外航クルーズ客船として1989年に就航。
全長=167m,幅=24m (陸上の建築物に例えるなら、40階建ての高層ビルを横にして海に浮かべたに等しい)
総トン数=23,234t,最大定員=600名

大桟橋からのMM21 |